今年のテーマ通り常に実施している片付け。アプリやデータも同様なのですが、年末には気になりつつ残しておいた『Langaku』も、年始早々に退会。 アニメも漫画も楽しめなかった作品の中には英語で読むと楽しめるものもあったりしたのですが、結局のところ
「漫画は日本語で読みたいなぁ・・・」
と。 アプリを使わないとわからなかったと思うので、良い体験でした。
最近では、教材として使っていた本など紙類の整理も進めたのですが、だいぶ思い切りよく処分できたような気がします。
『評価の高いものが自分に合うとは限らない』
ということを、ようやく受け入れられるようになったからかな。細々とでも、続けてきたことで自分のこともわかってきたのかもしれません。だったら嬉しいな~。
合わないものはどう頑張っても2周が限度。残しておいても仕方がないと思いつつ捨てられなかったんですよね。 でも今回、そんな経緯を持つ教材は開くこともせずに処分としました。 そんな中、教材付属の音声データについて思うところがあって今更CDの良さを感じたり、割りと真剣にChatGPTでカウンセリングの真似事をしてみたり。
合わないものとは別に、何回挑戦しても途中で頓挫する1冊があってずっと引っかかっているのですが、頓挫する理由など自己分析をChatGPTに書いてみたところ、私が課題と感じている部分の対策に有効そうなアイディアを幾つも具体的に挙げてくれてちょっと希望が見えたり・・・脇道に逸れたようでも、納得して遠回りを選択する為のきっかけになりました。 『過去の自分には必要な物だった』と割り切って整理を進めたことで、より柔軟に、視野も広くなった気がします。ChatGPTが常に正しいとは思いませんが、以前の自分ならぐるぐるし続けていただけかもしれないし、実際今回は有難かった。
付属の音声データといえば、音声必須の教材なのに『読み上げの方の声質次第でほぼ聞き取れない』というなかなか面倒な性質というか問題を抱えているんです、私。 最近やっと付き合い方がわかってきたので、ちょっと書いてみようかな。
自分のとっている対策は、入力したテキストを読み上げてくれるものを利用して聞き取り、自分の発音が認識されるかどうか音声入力もしてみること。 教材を作った方の意図とは違う使い方にはなりますが、自分でコントロールできることではないので、できる方法に舵を切るほかありません。
言語を学ぶうえでは致命的だな~と感じたこともありましたが、自分の最終目標でもある学んでいる目的はコミュニケーションではないので、考え方次第かな~と気楽でいられるようになりました。 必要なスキルを全体的に育てているうち、いずれそれぞれが繋がって理解が深まるような相乗効果を感じる瞬間に救われることもあるので。
聞こえづらい状況も理由もわからずに頭の中が静かに混乱し続けていた頃に比べたら、教材の著者がこだわって選出した声質であっても、自分の耳があまりにも拾いづらい場合はどうしようもないって割り切れる今は、だいぶ楽だったりします。
数年前に流行って自分にも必要と感じたから購入したものがまさにそうで、付属音声データが必須だったのに、男性・女性どちらの声も私には聞こえづらくて途中で諦めたままにしていました。 でも、切り替えられるようになったおかげで、他言語でのタイピング練習になって一石二鳥、と最近まためくり始めたところです。
私と同じような問題を抱えている方はそう多くはないと思うので、伝わるように書けるかわからないのですが・・・
例えば、電車やら混雑している場所で聞き取りやすいとされる声質の方が読み上げた音声を静かな環境で聞くと、私の耳には打楽器でも乱打されているような音が強く響き続け、言葉になって聞こえる声との間に戸を立てられたようになります。 言葉であるはずのものを言葉としてを聞き取ることができないんです。 一応リュックやらバッグやらにはこの缶バッジを付けていますが、私の場合ちょっと違うような気もして、どうするのが良いのやら・・・
症状が強く現れると、混乱で涙がボロボロと溢れて止まらなくなり、立ち尽くしてしばらく動けなくなったりするので厄介ですが、ここまで酷くない聞こえづらさが日常の中でも起こり続けていて、割りと強いストレスが続いています。 そもそも人に伝わらないうえ耐え難く、時折、非難めいた言葉さえぶつけられます。試験のリスニングがなぜか大丈夫だった時には、皮肉にも『嘘つき』と言われる原因になりました。
行く場所などを自分でコントロールできているので、最近は酷い症状が現れそうな状況を回避できていますが、自分でどうにかできるわけではないこの問題を恨めしく思うことは未だにあって、勉強に関する場面以外でも楽に構えられる日がいつかきたら良いな~なんて思ったりしています。