とっちらかんと

~迷子の寄り道~

アラームが欠かせない私のお話。

選挙の為に外出しただけでへとへと、外出回避に本気で取り組む、とっちらかんとです。よろしくお願いします。最近諸々の事情で外出不可避が続いています。

今回のお引っ越し記事を読み返して思い出したのは『強制されていた』子供時代、軸は父との記憶でした。宗教二世でなくても、親による精神的、身体的虐待は自分で選んだわけでもない宗教に勝手に入信させられることとそう変わらない気がします。

親類縁者との決別を覚悟したことで起こった変化なのか、旦那さんの思い出話なんかを聞くうち、私にはあまり記憶がないという信じられない事がここ数年でわかってきて、一体どうやって生きてきたのか、暗闇に浮いているような気持ちになりました。 これはブログを始めた理由の1つになったと思います。

あまり記憶がないのに、嫌な記憶だけは押し寄せてきたりするので始末が悪い。 少しづつ薄まってきた記憶もあるけれど、未だ終わりは見えず。フラッシュバックは仕方がないとしても、囚われ過ぎず、現在と未来にも目を向けたいな。

しばし記事のお引越しにお付き合いください。以下文中の『勉強』は、内容の伴わないテキトーなものです。

2024.9.22 投稿分 (閉鎖済みの自身のブログ)

ゆるくやっているのに足が止まってばかり。そろそろちゃんと再開しようかと考えている事について改めて調べたりしていたら、記録をつけ始めた頃の事を思い出したので、ちょっと書いてみる。

足を止めては再開を繰り返すうち、三日坊主が続いているようには感じられるようになってきた。これだって自分にとっては大きな変化。 足が止まる時や再開する時のトリガーを探す事と、何が自分のモチベーションに影響しがちなのか。自分の傾向をよく知る為に、何をどれくらいやったのか、その日何を感じていたか・・・とにかく、できる限り簡単な記録をするようになった。どうしても時々やってくる完全なサボりは『サボりました』と正直に。

最初は、余っていたコピー用紙にメモしてクリアファイルに入れるだけにした。ノートなんか用意しちゃって中途半端にやめたら本末転倒、逆にモチベーションまで下がりかねないと思ったから。1枚の紙ということが良かったのか、広く使ってぐちゃぐちゃ書き込んでいるうち、詳細を記録しなかった事で困った部分を追加したり、どんどん書き方が変わっていった。

この記録が思いの外続き、だいたい型も決まってきた2023年。意を決して記録の場を手帳に移してみると、久しぶりの手帳は楽しんで記録できたけれど、手帳である必要も感じなくなっていた。そこで2024年、今年は脱手帳。シンプルなノートに落ち着いた。

記録し始めて最初に見えてきたのは、集中し過ぎて生活に支障が出る時があること。主に、やる気が湧いているという自覚がある時、恐ろしく集中力が続く代わりに他の事に意識が回らなくなっていた。これは、記録を始めた事で無視できなくなっただけで、心当たりがあったこと。 時間を忘れて没頭するような事はしばらくなかったし、多少あってもすぐに軌道修正できる程度だったけれど、今回はちょっと酷い。放置してはいられず、すぐに改善に取り組んだ。

≪準備≫

  1. 勉強の開始時間と終了時間、支障が出た事について記録。
  2. 支障が出た事それぞれの所要時間を計測。

≪改善策≫

アラームが鳴ったら途中でも手を止めることをルールに、ちょうどいいインターバルを設定したアラームを使用。 

≪結果≫

勉強以外は終わりが判り易いものばかりでアラームは不要になったけれど、勉強する時のアラームだけは継続。 集中力が高まっている時は、中断してもすぐに集中状態に戻れることがわかった。

≪更なる抱負≫

アラームで強制的に中断して、ストレッチや水分補給を習慣づけたい。

 

アラームがないと中断できない事はどうにもならず。1日だけアラームを忘れた日のこと、集中が切れた瞬間に尿意に襲われトイレへ駆け込む。そもそも水分補給も忘れていて、これはもう不健康でしかないと感じて恐怖した。

最初に測った各作業の所要時間のおかげで、『今できる』と気づけるようになって先延ばしがなくなったのは嬉しい誤算。 生活に支障が出るほどの問題点を改善しようとしたら、他の問題点まで改善に向かった。

試行錯誤した後に『ポモドーロテクニック』というのを何かで読んだ。考案者の目的とはむしろ真逆のようだけど、ぜひ試してみたいな~と楽しみにしているところ。

それにしても、勉強に集中できる時間を持てるって、有難い贅沢かもしれない。

最終更新2025.11.11