こんな事ってみんなあるのかな。ほんと、物忘れというには過ぎているような体験でした。物忘れの程度というか、どの程度の物忘れまでなら問題ないのかなとか、もしかしたら若年性認知症かな、とか・・・これに関してはどこまでが若年性かという事にもなってくるのですが、とにかく、不安を感じるくらいには心配になってゾッとした、なんだかもう意味が分からない物忘れをした日のお話。 不安を打ち消すために「狐につままれるってこうこうとなんだ、きっとそうだ」と納得させたわけです。
ちなみに少し調べてみたところ、厚生労働省が『若年性認知症』のガイドブックというものを公開しています。興味のある方はどうぞ。
『若年性』というのは、『若年期』『初老期』を含めた総称だそうですが・・・こういう区別をしないといけない理由も色々あるのでしょうけれど、「やたらと年齢を意識させられる言い回しが多いのは、漢字の印象や病名などからでは?」「こんな名称をつけるから刷り込まれるのでは?」と感じてしまいました。まぁ、年齢を経ることで起こる変化は避けられないことだと思うし、ある程度を自動的に振り分けられてしまう場面も多いですからね。そうでもしないといちいち大変そうだし。もうちょっとどうにかならないかな~と感じる事はありますが、それこそ受け取りようかもしれません。
しばし記事のお引越しにお付き合いください。
2024.9.2 投稿分(閉鎖済みの自身のブログ)
昨夜、天井が回って、左から右に流れるように動き続けた。床について目を瞑ろうという瞬間、視界に違和感を感じて目を開けてしまった。天井の動きが止まることはなく、気が付いたら朝だった。 目を覚ましてもまだ天井は回っていたけれど、ずっと見ていても仕方がないので朝のルーティンに乗る。
朝食の用意をしている最中もなんだかおかしい。とぼとぼとしか歩くことができない。結果、全ての事にいつもより時間がかかって時間ギリギリに終わった。 体調もスッキリしない感じなので休養日に充てることにしたものの、明るい時間帯に横になるのがあまり好きではないので、眩暈を感じたらすぐに座ることを自分と約束して、いつも通り過ごす。
運動量が少ないからお昼は何か簡単に・・・作り置きのグリル野菜を一皿に盛り付けて食べようということにして準備のために、お皿を1枚取って台所へ。冷蔵庫を開けて驚く・・・グリル野菜が1つもないのだ。扉を閉めて記憶を辿る。 そうだった、だから今朝のサラダはブロッコリースプラウトとミニトマトのみ。レタスはサラダにせずに外葉を炒めて品数を増やし、あと少し生野菜か果物・・・で、キウイを切ったのだった。
この流れ、信じられないことに全部すっかり忘れていた。毎食撮影する習慣に感謝することになるとは・・・。とは言っても、毎食撮影する習慣があることさえ忘れていて、後になってから答え合わせをした結果。昨夜のうちに作り置きがない事に気づいて野菜を注文したことも、さらに、ネット注文で初めて甘味まで注文していたことも全部、全部忘れていた。
思い出すと同時に背筋にす~っと走る寒気。物忘れというには過ぎているような気もする。なんなんこれ・・・狐につままれたような・・・。
以降、こんな事は起こっていませんが、この1日の事だけがなんとなく別物というか、ふわっとしていて実感がない、そんな1日でした。
最終更新2025.11.12
