このところ、ブログを始めた目的のようなものを、改めて思い起こしてみたりしておりました。すると、考えに変化が起こりかけているように感じたので、記録してみます。
簡潔に言うと、賛否の『否』の部分も書いてみようかな~と思うようになってきているということ。
これまで、ネガティヴな内容は書かないようにしてきたつもりです。正しくは、ほぼ避けていました。特に、何かの良くない面というか、何かに対する批判になってしまいそうな内容。時折、自分の中のネガティヴが顔を出すのは仕方のない事と思っていますが、対象が自分ではない場合のお話。 『ネガティヴなだけ』と判断した内容に関しては、下書き保存しておき、しばらくしてから読み返した頃には「まぁいいか~」と削除する事で片づけてきました。
でも、最近思い起こした『ブログを始めた目的』は、主に『言語化の練習』だったはず。感じているのに書くのを避けている自覚があるなら、言葉を選びながら、ちょっと書いてみても良いのかもしれないな~と。
とは言え、気を遣いすぎて不快感を与えるかもしれないし、書きづらい事に変わりはありません。だからこそ、訓練にはなると思うけれど、ちょっと怖い。
商品レヴューや動画に対してのコメント欄でも、随分と攻撃的な言葉が目立つように感じて、余程気になる時以外は見ないようにしているのですが、その攻撃性を『匿名性の高さ』が生んでいるのだとしたら、とても危険な事だし、自分も気をつけないといけない。
反対意見やネガティヴな評価があるのは自然なことだと思うけれど、争ったり、対象を攻撃する原因になってはいけない。ゲームだってなんだって、万人からの満点なんてあり得ない。みんな同じ評価や意見を持つわけがありませんよね。
辛辣な言葉を投げている人達は、『時流に乗れている』という認識なのかもしれないけれど、『戦わせたい何者かからの煽りに乗せられているだけ』のような気がするんですよね。インスタントである事に慣れすぎて起こっている事なのかな。インスタントの度合いもすごい変化を遂げましたからね、カメラと一部の食品だけという印象だったのに。より便利な変化自体は凄い事だし有難いけれど、なんだか怖くもある。
今回も、割りとハラハラしながら書いていますが、自分が感じたネガティヴなことを書かずに仕舞っておくよりも、何とか書いてみたら、良い面だけを書くよりも誰かに伝わる事に幅ができるかもしれない。
今回、賛否の『否』の部分も書いてみようかな~と思うようになってきたのは、ブログを始めた目的を思い起こしたせいだけではなく、こんな理由もあったようです。訓練のつもりで、時々は、書いてみようかな。
そもそも、ネガティヴな事への受け止め方が適切なのかという事に自信が持てないんですよね。
診断を受けたわけではないけれど、私は発達障害のどれか、HSP、APDに分類されそうだし、もしかしたらどれもグレーで診断さえしてもらえないかもしれない。心の準備ができたら診察を受けたいと思っているけれど、今は、こういった本を、『読んでは落ち込んで中断して再開』を繰り返しています。
稀に、アクティヴな面が顔を出す事もあったりするので、『HSP』という言葉だけだとちょっと違和感があったのですが、こちらの本には何かヒントがある気がして、注文したばかりの本でも貼っておきます。
